平成28年4月10日  年々再々花相似たり 再々年々人同じからず


今年も桜の開花予報に心をときめかせ、日本人すべてがウキウキとした気分になりました。
私を含め年老いた者は、あと何回桜の季節を迎えられるのかと幾分感傷に似た気分にもなります。
私は毎年、春になると、まず表題に掲げた漢文を思い出し、センチメンタルな気分になっております。
毎年毎年花は季節がくると同じように咲いてくれるが、人の世は同じではない。去っていく人も、亡くなっていく人も…。
この花盛りのなか、4月6日には盟友・故S氏のお別れの会が帝国ホテル大阪で開催され、賑やかな中にも、しんみりとした気分に浸ったのでした。

4月2日の土曜日は花盛りのなか、ロータリーの友人達と夫婦揃って京都へ1日から始まった祇園「都をどり」鑑賞、そして南禅寺界隈での料亭で大いに京都の春の京料理を楽しんできました。
都をどり鑑賞の前の芸妓さんのたてるお茶席では百数十人の客の中から私が正客に選ばれ、恭しくお茶を頂いたのも初めての経験でした。
それにしても京都の春は人人人で溢れかえって、それはそれは賑やかなことで、春到来の華やいだ気分にさせてくれました。
桜の花ひとつをつまみとって花びらをしげしげと見つめると尚更、「人の世の無常」を感じさせ、私たちを感傷の世界に導いてくれます。

一方、この極めて東洋的な無常観とは別に、「よくもまぁ全く同じ花を無数に咲かせる桜に、このあたりまえのことに不可思議の疑問が沸いてきます。
もちろん近代科学者は遺伝子の仕業と説明するのでしょうが、ダーウィンの進化論からすれば「すべての生き物は環境に適応し生き抜いていき、生きる目的はひとつ、子孫を残していくということ」 とすればどうしてこうも早く散ってしまうのだろうか?
そもそも生物は全てこの日的を持った存在だとすれば…。
桜は自分の持つ花の美しさや儚さで人間の心を最もやきもきさせることにより、子孫を繁栄、残してゆくという最もしたたかな植物(生き物)と言えそうです。
人々はいたるところにせっせと桜の木を繁殖させています。
著名な設計家・安藤忠雄さんなどは大阪を桜だらけにしようと訴えています。

とにもかくにも、やっばり私たち日本人は桜の花に自分の人生を重ね合わせて特別の思いで桜の開花をむかえます。
大昔は花といえばむしろ大陸渡来の梅の花だったようです。万葉集あたりでも桜を詠んだ歌より梅を詠んだ歌の方が多いのだそうです。
万葉集の中では、

  あをによし  奈良の都は  咲く花の
      薫ふがごとく  いま盛りなり
                               小野 老
(小野のおゆという歌人は桜の満開に重ね合わせて、平城京の繁栄を讃えました。)

平安時代に入り、貴族文化が栄え、だんだん仏教的無常観が桜の花に染み込ませ、花といえば桜の花をさすようになり、多くの歌人が桜の花に人の世のはかなさを重ねて詠みました。

在原業平は

   世の中に  たえて桜のなかりせば
      春の心は  のどけからまし
   散ればこそ  いとど桜はめでたけれ
      憂き世になにか  ひさしかるべき

桜の花は惜しまれて散ってしまうから一層素晴らしいのだ。この浮世で永久に繁栄するものはなにもないのだと詠いました。

小野小町は自分が物思いにふけって月日を重ねている間に自分の美貌がおとろえてしまったことを憂い嘆き、桜の花が春の長雨で色あせているのになぞらえて

   花の色は  うつりにけりな  いたずらに
        わが身よにふる  ながめせしまに

(小野小町は在原業平のことが好きだったようです。業平は気づかなかったようです。)

生涯にわたり花と月を愛し歌い続けた西行法師は

   願わくば 花の下にて春しなむ
       その如月の  望月のころ

と詠んで、望みどおりお釈迦さんが涅槃に入ったとされる陰暦2月15日の翌日の宜月16日の満月の日に、大阪の葛城山のふもとの、広川寺というお寺で往生したそうであります。

武家時代に入り、「花は桜木、人は武士」と桜の散り際のいさぎよさが武人の本領のように言われ、いさぎよい死に方が賛美されるようになりました。
平忠度の歌にはいつも涙します。

   さぎなみや  志賀の都は  あれにしを
      昔ながらの  山桜かな

江戸中期の国学者・本居宣長は

   しきしまの  やまと心を  人とはば
      朝日に匂ふ  山桜花

と日本人の国民性を朝日に映える山桜の優美さ、清純さ、淡白さにたとえ、散り際の潔さを賛美しました。
こうした影響を受けて、幕末・維新の志士たちも自分の命を桜の花に見立てて辞世の歌を親し命を散らしていきました。
その後の我が国は無謀と思える太平洋戦争でも、時の為政者はこれまた日本人の心意気は桜の花と戦死することを美化して、多くの若者が「咲いた花なら散るのは覚悟」と命を散らしていきました。

このようなことに思いを馳せ、今年もまた私は様々にお花見をさせていただきました。

   醍醐寺の  花はや散りて  しろたへの
      ふみゆく石に 雨ふりやまず
奉治  



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