平成23年1月20日  ノルウェイの森

今頃になって村上春樹の「ノルウェイの森」を読みました。
このほど映画化されたということで書店の最前列に並んでいたからです。
こんなセックスやりたい放題の学生の小説が当時の若者に人気がありベストセラーになっていたとは正直驚きました。
この小説の中で、作者白身が「小説は死んでから30年経過して、なお風化せず輝いている小説でなければ読まない。」と主人公の先輩に言わしめています。
「ノルウェイの森」がそれに耐えられるかどうか???
「もっと若い人にはもっと他に読まなきゃいけない本あるやろ! アンドレジイドの狭き門とか。」というのが私の卒直な感想でした。

あらすじは次のようなものです。



    37歳の僕は、ハンブルクの空港に着陸した飛行機の中で流れてきたビ−トルズの『ノルウェイの森』を耳にし沸き上がった18年前の鮮烈な記憶に圧倒され混乱する。

大学に入学し東京で生活を始めた18歳の僕は、ある日曜日、中央線の中で高校時代の友人直子と再会する。彼女は、僕の自殺した親友キズキの幼なじみかつ恋人だった。その日以来毎週末、僕たちはほとんど言葉を交わすこともなく都内をひたすら歩き続けるようになる。1年後、直子の20歳の誕生日に直子は壊れたようにしゃり続け、そして長い間泣き、やがてふたりは結ばれる。しかし、直子は直後に消息不明に。実家あてに手紙を書き続けた僕のもとに、やがて直子から「京都の療養所にいる。会う準備ができたら手紙を書く」と返事が届く。

やがて僕は大学で小林緑と知り合う。快活で工キセントリック、料理が上手く死にかけた父親の介護をする緑に奔放されながらも僕は少しずつ惹かれていく。

そんな時、直子から手紙が届き僕は京都の療養所へ直子を訪ねる。直子と同部屋に住むレイコさんもまじえて3人は楽しく過ごし、レイコさんはギターで直子の好きな『ノルウェイの森』を弾く。

東京に戻った僕は、学校やバイトの合間に緑と会い、直子と手紙のやりとりをして日々を過ごしていく。やがて双方を愛していることを自覚し悩む僕。しかし直子の症状は次第に悪化し、自殺してしまう。
最後にレイコさんとふたりだけで「お葬式」をした僕は雑踏から緑に電話をかけ、世界中に君以外に求めるものは何もないと伝える。
(以上、インターネットから借用)





「ねえ、永沢さん。ところであなたの人生の行動規範ってたいどんなものなんですか。」と僕は聴いてみた。
「紳士であることだよ。」
「紳士であることって、どういうことなんですか? もし定義があるなら教えてもらえませんか?」
「自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ。」


「私はいつも飢えてたの。一度でいいから愛情をたっぷりと受けてみたかったの。もういい、おなかいっばい、ごちそうさまっていうぐらい。一度でいいのよ。一度で。でもあの人たち(両親)はただの一度も私にそういうのを与えてくれなかったのよ。それで私はこう思ったの。私のことを年中百パーセント愛してくれる人を自分で見つけて手に入れてやるって。小学校五年か六年のときにそう決心したの。」
「完璧な愛を?」
「違うわよ。いくら私でもそこまでは求めていないわよ。私が求めているのは単なるわがまま。完璧なわがまま。たとえば今私があなたに向かって苺のショートケーキが食べたいって言うわよね、するとあなたは何もかも放り出して走ってそれを買いにいくのよ。そしてハアハア言いながら帰ってきて『はいミドリ、苺のショートケーキだよ』ってさしだすでしょ、すると私は『ふん、こんなのもう食べたくなくなっちゃったわよ』って言ってそれを窓からぽいと放り投げるの。私がもとめているのはそういうものなの。」
「そんなの愛とは何の関係もないような気がするけどな。」
「あるわよ。あなたが知らないだけよ。女の子なはね、そういうものすごく大切なときがあるのよ。そうよ、私は相手の男の人にこう言って欲しいのよ。『わかったよ。ミドリ。僕がわるかった。君が苺のショートケーキを食べたくなくなることくらい推察すペきだった。お詫びにもう一度何か別のものを買いにいってあげよう。何がいい?』 」
「するとどうなる?」
「私、そうしてもらったぶんきちんと相手を愛するの」
「ある種の人々にとって愛というのはすごくささやかな、あるいは下らないとこから始まるのよ。そこからじゃないと始まらないのよ。」


「何人と寝たんだって?」
「たぶんもう八十人くらいは行っているんじゃないかな」と僕は言った。「でも彼の場合相手の女の数が増えれば増えるほど、そのひとつひとつの行為の持つ意味はどんどん薄まっていくわけだし、それがすなわちあの男の求めていることだと思うんだ。」
「それがストイックなの?」
「僕にとってはね。」


そしてとなりに直子がいて、手を伸ばせばその体に触れることができるような気がした。
でも彼女はそこにいなかった。彼女の肉体はもうこの世界のどこにも存在しないのだ。
僕はどうしても眠られない夜に直子のいろんな姿を思い出した。僕の中には直子の思い出があまりにも数多くつまっていたし、思い出さないわけにはいかなかった。
彼女のイメージは満ち潮の波のように次から次と僕に打ち寄せた。
僕は死者とともに生きた。死とは生をしめくくる決定的な要因ではなかった。そこでは死とは生を構成する多くの要因のひとつでしかなかった。
直子は死を含んだままそこで生き続けていた。そして彼女は僕にこう言った。「大丈夫よ、ワタナベ君、それはただの死よ。気にしないで。」と。

そんな場所では僕は哀しみというものを感じなかった。死は死であり、直子は直子だからだった.ほら大丈夫よ、私はここにいるでしょ? と直子は恥ずかしそうに笑いながらこう言った。いつものちょっとした仕草が僕の心をなごませ、癒してくれた。
そして僕はこう思った。これが死というものなら、死も悪くないものだな、と。
そうよ、死ぬってそんなにたいしたことじゃないのよ。と直子は言った。死なんてただの死なんだもの。それに私はここにいるとすごく楽なんだもの。暗い波の音のあいまから直子はそう語った。

キズキが死んだとき、僕はその死からひとつのことを学んだ。そしてそれを諦観として身に付けた。あるいは身につけたように思った。
「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ。」
たしかにそれは真実であった。我々は生きることによって同時に死を育んでいるのだ。しかしそれは我々が学ばなければならない真理の一部でしかなかった。

直子の死が僕に教えたのはこういうことだった。どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさもその哀しみを癒すことができないのだ。
我々はその哀しみを哀しみぬいて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。
僕はたった一人でその夜の波音を聴き、風の音に耳を澄ませながら、来る日も来る日もじっとそんなことを考えていた。


 
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