平成22年2月18日  人生を考える(1)哲学者・芳村思風先生

「人生の目的って何ですか」
「幸福になることだよ」
「どうすれば幸福になれるんですか」
「満足することだよ」
「どうすれば満足できるんですか」
「ウーン、人間の欲望は果てしないからなあ・・・」
「では、幸福は釆ないじゃないですか」
・・・結局のところ、人生には目的なんてないのでは。
何になるかではなく、人生をどう生きるかに尽きるのでしょう。
どう生きるかを人生の目的にすべきなのでしょう。

昔の人は人生を旅に重ね、旅に出ました。
旅の目的は終着点ではない。
旅自身が目的であり、旅の中での人との出会い、その場所場所での人々の暮らしぶりや息づかい、そして自然や歴史が織り成す風景に接し、何かを感得しようとした。芭蕉も西行もゲーテもそうです。人生もまた同じだと思います。「幸せ」を求めないことが「幸せ」になる唯一の方法なのでしょうか。

このような問答に明快に答えてくれているのが、私が20年来、ひそかに尊敬している哲学者・芳村思風先生です。私は講演を聴いたわけでもなく、もっばら書物からですが、先生の教えは何故か私の心の中に深く刻み込まれています。





人生哲学の基本原理
人間において生きるとは、ただ単に生き永らえることではない。
人間において生きるとは、
「何のためにこの命を使うか」「この命をどう生かすか」ということである。
命を生かすとは、何かに命をかけるということである。
だから、生きるとは、命をかけるということだ。
命の最高の喜びは、命をかけても惜Lくない程の対象(人・もの)と出会うことである。
その時こそ、命は最も充実した生の喜びを味わい、
激しくも、美しく燃え上がるのである。
君は、何に命をかけるか。
君は何のためになら死ぬことが出来るか。
この問いに答えることが生きるということであり、
この問いに答えることが人生である。

人生は、意志と愛のドラマである。
人間は皆、愛ゆえに生き.愛のために死ぬのである。
意志ゆえに生き、意志のために死ぬのである。
意志と愛との結合が、人間であり、人生である。
愛の世界は、親子の愛を縦軸とし、男女の愛を横軸として、
その骨格が形成されている。
意志の世界は、自我(人顆の意志)縦軸として、職業〈社会的使命)を横軸として、
その骨格が形成されている。
この意志と愛を共に実現すること、人生の目的である。
そして、人間生命の本質である意志と愛を努力して実現せんとするところに、
生き甲斐もまた生まれるのである。

幸せでありたいと願うなら、誰もが「これが自分の哲学だ」というものを持つ必要が
ある。自分の哲学がなければ、決して幸せをつかむことができない。
先見力は理念を語る哲学から生まれる。先見力は、理念を語る力によってしか育たな
い。
「理念」と「理念への問い」を混同してはいけない。大事なのは「問い」である。理念そのものではない。理念に執着すると、型にはまった人間を作ってしまう。問いを大事にすると、答えは無限である。正解を得ることに価値があるのではない。理念を問い続けることに意味あるのである。

自己実現と言うが、実現する価値のある本当の自分、真実の自己とは一体何であろう
か?
実現すペき真実の自己が何か分からずに自己実現ができるはずはない。
生命は、ただ生きているのではない。生命には目的がある。
生命が、最高に輝く瞬間、最上の喜びを感じる瞬間とは、生きたいと願う生命が、このためならもう死んでもいいと思えるものに出会ったときである。
このためなら死んでもいいと感じられる人との出会い、仕事との出会いを体験したと
きに、生命は最も激しく燃え上がり、輝く。生命が最も喜びを感じる瞬間である。

人生の目的は、意志を実現することであり、愛を実現することである。
別の言葉で言えば、仕事において成功することであり、素晴らしい人間関係をたくさんつくることである。
すなわち、人生は意志と愛のドラマである。
人間は、自分が愛するもののために生き、自分が愛するもののために死ぬのである。

自分が意志するもののために生き、自分が意志するもののために死ぬのである。
人間生命の本質である意志と愛を努力して冥現せんとするところに、生き甲斐もまた
生まれるのである。

喜びは短く、悲しみは長い。喜びは.努力しなければ得られないが、悲しみは努力なしでやって来る。
人生とは、その大半が苦から楽への、悲しみから喜びへのプロセスである。
人間の価値は、このプロセスそのものにどれ程の生き甲斐を見いだし得るか、にかかってもいる。

誰も、この苦Lみを、気持ちを、わかってくれない。
誰も私のことを本当にはわかってくれない。
この思いは、誰の胸にも死ぬまで付きまとうものである。
人間は本質的に、根元的に、堆でも、皆、さみしいのである。孤独なのである。
しかしまた、人間はこの誰にも理解されない心を抱えて、人と共に生きていかなけれ
ばならない存在である。そこで、人間は人と共に生きる為に、人に語りかけ、理解し
合えるように努力するのである。いや、努力しなければならないのである。

考えても答えは出ない。動けば問題も出てくる。問題が使命を与えてくれる。人との出会いがある。その出金いが人生を作るのです。


人生における問題
問題はあなた苦しめるたぬにあるのではなく、成長させるために出てくる。人間の潜
在能力を引っ張り出すために出てくるものである。
問題があるから、人間は成長できる。問題がなくなったら、そこで成長は止まってしまう。
問題は感性で感じるもの。感性の中の潜在能力が問題をつくり、問題を感じる主体者となる。
自分の命から湧いてくる問題意識というものは、本気になって自分が何とかしようと
思ったら、何とかできる問題しか出てこない。
解決する能力のある人にしか問題に気がつかない。
問題がない道が正しい道ではありません。
問題や悩みのない人生はない。どの道を選んでも問題は必ず起こってくる。大切なのは、必ず乗り超えられると信じて、出てきた問題から逃げないこと。
問題がないことを願ってはいけません。
問題がないのは感じていないだけです。
苦しみ、悩みは人生を楽しませるために出てくるのです。


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